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勇気

アマチュア愛好者だからこそ、目指すものはそれぞれでいい。

だけど、主体は、あくまでもその本人にないといけない。


簡単めな曲を延々と弾かされたり・・・
それは、本人の意思なんだろうか?
先生がOKというまで、続けるの?

その期間、他の曲と向き合う機会を逸してしまいます。


コンクールやそれに準じるようなイベント・・・
指導者名なんて空欄で出すことだってできる。
だけど、指導者名を記名するように指導者からいわれ、
あげく「こんなんじゃ出させない」といわれて、それに従う?

弾くのは、指導者の名誉のためではないでしょう?


そんな扱いを受けても、その指導者を盲信してしまう生徒がいる。
冷静になれば、そんなのおかしいことはすぐにわかるけれど・・・
それを否定することは、
その指導者のもとで過ごした時間を後悔することになるから、
肯定したいのだと思う。

 

だけど、病院だって、セカンドオピニオンを求めることはよくある。
一度、セカンドオピニオンを受けてみる勇気、持とうよ。


ピアノの指導者なんてゴロゴロいる。

演奏動画:ピアノ教室編

いまどきのピアノ教室には、教室宣伝用のWebページがあるのが一般的になってきている。

そこには、たいてい、レッスン方針(指導理念)、レッスン料、所在地、連絡先 とともに、
「講師プロフィール」が掲載されている。


学歴、コンクール入賞歴、師事歴 などが書かれているので、
おおよそ、どんな先生なのかの目安にはなる。


しかし、その先生にコンタクトをとるかどうかの判断材料は、
その先生(になるかもしれない人)がどういう演奏をされるのか、ではないだろうか。

そういう意味で、演奏動画があると非常に話が早い。


しかし、実際には、講師の演奏動画を公開している教室は少数派のように思う。


①動画公開している講師

 その動画を見て、その先生に習いたいと思えば、コンタクトをとればいいと思う。

 素晴らしい演奏をされる先生もいらっしゃれば、
 「よくこの演奏で動画公開したなぁ・・・」と思うようなのがある。

 後者であれば、そんな動画をさらすことが恥ずかしいことだという判断さえつかない人です。
 そんな教室に通ったら、そこでうまくなるのは奇跡に近い。


②動画公開していない講師

 誰もがスマホを持つ時代とはいえ、
 単に、ツールが使いこなせないだけの、ITに詳しくないだけかもしれない。

 また、国立の藝術大学出身なら、動画公開してなくても、ハズレはない。
 しかし、私立の音楽大学出身者は、ピンキリだと考えていい。
 (特に、イマドキの私立音大・・・入試倍率を見れば一目瞭然)

 「こんな動画、さらせない」と考えて、動画を公開しない先生は、
 へたっくそな動画を堂々と公開している先生よりは、「良し悪し」の区別はつくので
 弾かない先生でも、体験レッスンに行ってみて、納得できるのであれば、通うのはアリだと思う。

 

演奏動画:アマチュア編

アマチュア愛好者のブログなどを見ていると、演奏動画を公開されている方が大変多い。

それまで練習した成果としての発表会の記録の動画、とか
じっくり練習した結果、レッスンがひと段落ついた記念の動画、とか。

そういうのは、見ていて、ホッとする。

もちろん、アマチュアなので、プロのようには弾けません。
だけど、その方が、真摯に向き合ってこられた音楽は、プロのピアニストのようには弾けなくても価値があると思います。


ところが、実際には、そういう「記録」や「記念」の動画は少なく、
何ともいえないシロモノがゴロゴロしている。


たとえば、普通に弾いたら5分の曲を、
「譜読み始めました~」で、10分以上かけて、たどたどしく、つっかえつっかえ、小節ごとに弾きなおし、
アーティキュレーションデュナーミクも無視、音間違いも多数・・・
なんていう動画が存在する。

まぁ、そこまでひどくなくても、「練習途中」だったり「ちょっと弾いてみました」、「解凍中です」みたいな
はっきり言えば、とてもその方のベストの状態とは思えないようなクオリティのものが散在する。


しかも、こまったことに、
ブログで公開されたその手の動画には、ブロ友さんたちから「賞賛」のコメントがつく。


背筋がぞわぞわする。


ブロ友さんたち、それ、本気で言ってます?
その動画、発展途上なんですよ?
それ、今、賞賛しちゃったら、その方、そこで妥協しちゃいますよ?


発展途上の動画を公開する神経がわからない。
録画した次の日にもまた練習するのでしょう?
毎日、進化しているのでしょう?

どうして、「過去」」の未完成状態を置いたままにするの?

・・・・・・・・・まったく、わからない。

選曲

今も昔も、生徒が子供であれば、特に選曲で悩むことはない。

 

だって、未就学児や小学校低学年の子が、

英雄ポロネーズを次の発表会で弾きたい」

なんていうはずがない。

もっといえば、生徒である彼ら、彼女らは、世の中に存在するピアノ曲を大人ほど知らないのです。

 

なので、教本も発表会の曲も、指導者主導で選曲される。

せいぜい、指導者から提示されたいくつかの選択肢から選ぶにとどまる。

 

  尚、ここでは「外野」である保護者は考慮しない。

  子供の発表会の選曲が不満でどうのこうの、というのは「知恵袋」あたりに

  いくつも転がっているが、あんなのはたいてい子供本人ではなく親の見栄とか

  わがままとかであって、子ども本人の意思(であるかのように書いてあっても)

  とは無関係なので。

  普通、発表会の選曲なんて、曲かぶりを回避しつつ選曲するのだから

  指導者に一任するしかあるまし。どんだけモンペなんだか・・・。

 

話を本題に戻しましょう。

つまり、子供のピアノ教室で、小さな子供にとっては、選曲が問題になることは(指導者と生徒本人の間では)ないといってもいい。

 

そのまま、生徒のピアノ歴において、長期の中断経験もなく、ほぼ一直線に成長を重ねていくことになる。(成長度合いなどは個人差はあるにせよ・・・)

 

選曲がいろいろ面倒になってくるのは、子供が成長し「これが弾きたい」と明確な意思を持つあたりからだろうと思う。この時点で、小さい頃から継続して通っている教室だと、指導者と生徒には、5年とか10年とかの歴史があり、指導者は生徒の技術や志向を熟知しているし、指導者と生徒の間で信頼関係ができているし、それまに、良いことも悪いことも経験してきているだろうから、ある意味、ストレートに話せもするでしょう。

 

ところが、多くの大人再開組は、長い長いブランクの末、技術もおぼつかなく、しかも再開してつく先生は初対面の先生だったりすることが多い。しかし、大人は嗜好面では子供よりも明確であるし、希望もはっきり言う。しかし、指導者との間の人間関係、信頼関係という面では、まだまだ「これから」の部分が大きいはず。

 

一度の体験レッスンですべてがわかるなんてこともなく、レッスンを始めてから、徐々に作り上げている面が大きい。

 

指導者は「基礎をしっかりやったほうがいい」と思っていても、生徒側は、いますぐにでも憧れの曲を弾きたい・・・。そのギャップが往々にしてあるように思う。

 

ここで、大人の再開組のレッスン経験が少ない指導者は「基礎ができてないのに、こんな大曲弾くなんて身の程知らず」的な見方をしてしまい、その生徒が入会してきたときに持っていたすべての曲をとりあげてしまったらどうだろう。

少なくとも体験レッスンの時に弾いていた程度の曲は弾きたいと思うのが人情じゃないだろうか。

この段階で、生徒のモチベーションは大きく崩れてしまう。

そして、指導者がその生徒に与える曲が、本人が希望する大曲とはくらべものにならない単純な楽譜、動画を探せば足台使ってる子供が演奏する動画しか出てこないような曲、例えばわずか2ページ、1分の曲だったら?

すでに、生徒のモチベーションは崩れているので、そのような曲が選曲されても、成果が期待できるはずもない。

なので、たった2ページ、1分の曲でも、いつまでたっても仕上がらない。

1ヶ月経ち、2ヶ月経ち、3ヶ月経ち、4ヶ月経ち・・・

結果は容易に想像できると思う。

 

大人の再開組の場合、選曲は子供の生徒とは比較にならないくらい重要なもの。

指導者と生徒は、それを介してレッスンをするのですから。

モチベーション(選曲)

大人がピアノを再開する理由として、「この曲が弾きたい」という思いがよくある。

弾きたい曲と弾ける曲のレベルが一致している人たちは、

好きな曲を次々に弾ける。

 

ところが、大人再開組の大多数が、「20年ぶり」「30年ぶり」コースです。

すると、はるか大昔、昭和のピアノ教室で習ったことも遥か忘却の彼方へ、

楽譜を読もうにも老眼が進行し一苦労、

物覚えが悪くなったために異様に高い暗譜のハードル、

などなど・・・子供のときにピアノを辞めた時点から再出発なんてことは夢のまた夢。

 

多くは、「やり直し」街道を歩くことに。

 

でも、その長くてつらい「やり直し」街道も、

「いつか、この曲を弾くんだ」という目標があれば、

砂をかむようなチェルニー地獄も耐えられるってもの。

 

もちろん、「大人の趣味だから」と、大義名分のもと、

いったんつかんだ生徒を手放したくない先生や、

美味しいとこだけ取りたい生徒は

チェルニー、インヴェンション&シンフォニアなんて回避することもできます。

 

だけど、そういう基礎メニューを回避してきた人の演奏って

やっぱり、技術の支えがないので、表面的に音を並べてるだけになりがち。

耳の肥えてしまった大人の生徒は、そういう自分に満足ができなくなるのです。

そして、ふたたび「やり直し」街道を行き直すという選択になるのです。

 

それって、とんでもなく、時間を無駄にすることになります。

弾きたい曲に手を出したところで、自分自身が満足できない出来にしかならない。

曲を変えても、結局、同じことになる。

そして、苦しくなる。

 

好きな曲をやるとモチベーションは上がる。

でも、自分が満足できる仕上がりにならないと、モチベーションは下がるし、

どんどんネガティブ志向に陥ってしまう。

 

そこで、指導者の出番です。

指導者と生徒の間の信頼関係って、選曲が象徴していると思います。

生徒の側は、希望する曲があれば「この曲、レッスンで見てもらえるだろうか?(弾かせてもらえるだろうか)」という期待と不安があります。

 

例えば、生徒が「幻想即興曲」を希望していて、ちょっとまだ無理かな・・・という時、指導者はどういう代替提案をするとよいでしょう?

 

私がその生徒の立場だとして、指導者が下記①または②のような指示(提案)をしたらどうでしょう。

 

①「幻想即興曲」はまだ無理。他の弾けそうなやつなんでもいいので自分で考えて。

②「幻想即興曲」の前に、ポリリズムの曲に慣れておいたほうがいい。

 ドビュッシーの「アラベスク第一番」は弾いたことがありますか?

 

①は、現実としてそうなのかもしれないし、そういう事実は自分でも認めているのだとすれば、それを指導者からわざわざ念押しして言われなくても・・・と思いますねぇ。

しかも、「無理」と言い放つだけで、代替提案もなく、自分で考えてこいと言われれば、何を選んでよいのかわからなくなります。次に希望する曲も、このように無碍に却下されたらどうしよう? 自分のレベルってどこにあるんだろう? 先生は、どの曲なら弾かせてくれるのだろう? 

結果、どうなるでしょうか? 指導者と生徒の間に、信頼関係って成立していません。

また、こんなふうに言われてしまうと、実力以下の選曲しかできなくなります。もはや、「弾きたい曲」ではなく「これだったら弾かせてもらえるだろう曲」になるのです。そうやって、自分の意思を押し殺して、指導者に受容される曲を持っていって、レッスンはいい結果になるでしょうか?

 

では、②だとどうでしょう? 同じく、希望曲はこの時点では弾かせてもらえないことにはかわりないのだけれど、「幻想即興曲」を完全に否定しているのではなく、順を追って技術を身につけていきましょう、という提案です。「アラベスク第1番」を弾くことが、今後の「幻想即興曲」につながると思えば、モチベーションは下がらないし、

さらに、指導者は自分の技術的な進歩を念頭においてくれていると思えるから、その指導者のことをいっそう信頼できるように思うのです。

 

そういう意味では、指導者から「弾ける曲持ってきて」と言われることは、一見、生徒側に裁量を与えているかのようですが、無責任な話です。

ビジネスの世界でもよく言いますよね。却下する時(反対意見を述べるとき)は、代替案を必ず提示する、ということ。

 

指導者と生徒の信頼関係がうまく成立すれば、その後は少々のことがあってもモチベーションは揺らがないと思います。

大人がピアノを続けるのに必要なこと

これは、過去のブログにも書いたし、

リアルなピアノサークル内の掲示板なんかにも書いたことがある。

 

ピアノって、一朝一夕に成果が目に見えて現れるものではないから、

継続することがまずは大前提となる。

 

では、継続するために必要なものは?

私は、以下の5つがすべて揃ってなきゃ無理だと考えています。

 

1.健康

2.環境

3.時間

4.指導者

5.モチベーション

 

1.健康

これは、まず大前提ですよ。最低限、椅子に座って、背筋をしゃんとして

鍵盤に触れることができなければ・・・ね。

そう思うと、残りの人生のうち、「健康寿命」というものがとても重要になってくる。

 

2.環境

これは、家族の理解もそうだし、練習環境が確保できなきゃ無理。

 

3.時間

ピアノ、とんでもなく時間を費やすものです。自分の生活の中で、何日かにいっぺんとかじゃなく、毎日たとえちょっとでも弾くことができる時間。

 

4.指導者

最初に聞いてくれる他人であり、音楽を一緒に作り上げていってくれるとても重要な存在。

 

5.モチベーション

自分はこの曲が弾きたい!と思う気持ち。ピアノ仲間や指導者の存在も大きい。

他のブロガーさんのブログからヒントをもらうことも多い。

 

 

こう並べてみると、1は自分自身のこと、2と3は自分とその周辺のこと、4は指導者そのもの、5は、自分、周辺、指導者、仲間すべてが関わってくること。

そうすると、1,2,3は、ことさらブログで書いたところで、他の人の参考にはならないし、他の人が読んで楽しいものでもないのかな。でも、4と5については、そのありようによってピアノ生活が大きく変わるし、また現在の在り方を変えようと思えば変えられる要素でもあるのかな。

 

だから、ちょっとブログで書いてみようかと。

人口ピラミッド・・・ピアノ教室の有望市場を考える

我が国の人口ピラミッド

統計局ホームページ/日本の統計−4 我が国の人口ピラミッド

 

少子化が叫ばれて久しいわけですが、そういった意味では、
ピアノメーカー、ピアノ教室に関しては、厳しい時代といえるのでしょう。

 

ネット上にも、ピアノ教室のHPや、ピアノ講師のブログなどもたくさんあります。
教室、講師側にとっては、(更新の手間暇を惜しまなければ)
広告宣伝費をかけなくとも集客できる時代になりました。


私もそういうHPやらブログやらを見ています。
また、ピアノ教室検索サイトなんていうのもあります。


その結果、わかったことは・・・
生徒が定着して、積極的に生徒募集をしなくても年中生徒が集まる教室があります。
他方、年中、生徒募集をしている教室もあります。

前者については、指導内容も生徒にとって満足いくものだから生徒が辞めないのだろうし、
とりたてて新規開拓の必要はないのかもしれません。


後者についてはどうでしょう?

求人広告でも「しょっちゅう求人広告出してる企業は要注意」なんて言われます。
ピアノ教室の生徒募集も、同じようなものかなぁ・・・と思ってしまいます。


募集広告を出さなきゃ生徒が集まらない、
生徒がすぐにやめてしまう
同じ地域に有力教室があるから、集まらない


そんな教室、ぶっちゃけ、「負け組」なんじゃないでしょうかね。
同じ土俵で勝負して、これまで勝ててないということは、
この先、同じ土俵で同じやり方をしていたところで、
少子化の影響で、「お子ちゃま向けピアノ教室」だけを続けても、さらに負けがこむのでしょう。


なのに、生徒の集まらない教室の先生ほど、(時間に余裕があるからでしょうね)
セミナー通いにご熱心みたいです?
ちまたにあふれる導入教材のお勉強をするセミナーって、今後、役にたつのでしょうか?


人口ピラミッドを見てください。


そもそもの人口ボリューム、
そこに、時代的背景から「子供時代にピアノを習った」経験者がたくさん。
働いてきたからこそ、蓄えがあったり、年金も厚生年金もある世代。

そして、この世代が、バブル時代に就職し、仕事のゴールインを迎える・・・


そう、今後、ピアノ教室のいちばん豊潤な市場は、一目瞭然。


早くもこの世代で、ピアノ再開組がたくさん。

そして、よくあるのが「先生探しに苦労する」という話。

正直、お子ちゃまのピアノ教室は、親が選びます。
子供はイヤだと思っても、自分の意思で教室を選べません。

しかし、大人は、自分で判断するのです。
そして、大人は志向がはっきりしています。
さらに、「残りの人生・・・」というタイムリミットを感じているからこそ、
「合わない」と思えば、さくっとやめて、次の教室に移ります。

だけど、「大人の再開組」に対して、十分な指導経験をお持ちの先生って
まだまだ少ないように思います。
逆にいえば、その指導ノウハウを蓄積した先生が、この市場では勝ち組になれると思います。


じゃぁ、どんな先生がいいのか?・・・これは、今後数回に分けて書いていこうと思います。