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モチベーション(選曲)

大人ピアノあれこれ(雑感) ピアノ教室(雑感)

大人がピアノを再開する理由として、「この曲が弾きたい」という思いがよくある。

弾きたい曲と弾ける曲のレベルが一致している人たちは、

好きな曲を次々に弾ける。

 

ところが、大人再開組の大多数が、「20年ぶり」「30年ぶり」コースです。

すると、はるか大昔、昭和のピアノ教室で習ったことも遥か忘却の彼方へ、

楽譜を読もうにも老眼が進行し一苦労、

物覚えが悪くなったために異様に高い暗譜のハードル、

などなど・・・子供のときにピアノを辞めた時点から再出発なんてことは夢のまた夢。

 

多くは、「やり直し」街道を歩くことに。

 

でも、その長くてつらい「やり直し」街道も、

「いつか、この曲を弾くんだ」という目標があれば、

砂をかむようなチェルニー地獄も耐えられるってもの。

 

もちろん、「大人の趣味だから」と、大義名分のもと、

いったんつかんだ生徒を手放したくない先生や、

美味しいとこだけ取りたい生徒は

チェルニー、インヴェンション&シンフォニアなんて回避することもできます。

 

だけど、そういう基礎メニューを回避してきた人の演奏って

やっぱり、技術の支えがないので、表面的に音を並べてるだけになりがち。

耳の肥えてしまった大人の生徒は、そういう自分に満足ができなくなるのです。

そして、ふたたび「やり直し」街道を行き直すという選択になるのです。

 

それって、とんでもなく、時間を無駄にすることになります。

弾きたい曲に手を出したところで、自分自身が満足できない出来にしかならない。

曲を変えても、結局、同じことになる。

そして、苦しくなる。

 

好きな曲をやるとモチベーションは上がる。

でも、自分が満足できる仕上がりにならないと、モチベーションは下がるし、

どんどんネガティブ志向に陥ってしまう。

 

そこで、指導者の出番です。

指導者と生徒の間の信頼関係って、選曲が象徴していると思います。

生徒の側は、希望する曲があれば「この曲、レッスンで見てもらえるだろうか?(弾かせてもらえるだろうか)」という期待と不安があります。

 

例えば、生徒が「幻想即興曲」を希望していて、ちょっとまだ無理かな・・・という時、指導者はどういう代替提案をするとよいでしょう?

 

私がその生徒の立場だとして、指導者が下記①または②のような指示(提案)をしたらどうでしょう。

 

①「幻想即興曲」はまだ無理。他の弾けそうなやつなんでもいいので自分で考えて。

②「幻想即興曲」の前に、ポリリズムの曲に慣れておいたほうがいい。

 ドビュッシーの「アラベスク第一番」は弾いたことがありますか?

 

①は、現実としてそうなのかもしれないし、そういう事実は自分でも認めているのだとすれば、それを指導者からわざわざ念押しして言われなくても・・・と思いますねぇ。

しかも、「無理」と言い放つだけで、代替提案もなく、自分で考えてこいと言われれば、何を選んでよいのかわからなくなります。次に希望する曲も、このように無碍に却下されたらどうしよう? 自分のレベルってどこにあるんだろう? 先生は、どの曲なら弾かせてくれるのだろう? 

結果、どうなるでしょうか? 指導者と生徒の間に、信頼関係って成立していません。

また、こんなふうに言われてしまうと、実力以下の選曲しかできなくなります。もはや、「弾きたい曲」ではなく「これだったら弾かせてもらえるだろう曲」になるのです。そうやって、自分の意思を押し殺して、指導者に受容される曲を持っていって、レッスンはいい結果になるでしょうか?

 

では、②だとどうでしょう? 同じく、希望曲はこの時点では弾かせてもらえないことにはかわりないのだけれど、「幻想即興曲」を完全に否定しているのではなく、順を追って技術を身につけていきましょう、という提案です。「アラベスク第1番」を弾くことが、今後の「幻想即興曲」につながると思えば、モチベーションは下がらないし、

さらに、指導者は自分の技術的な進歩を念頭においてくれていると思えるから、その指導者のことをいっそう信頼できるように思うのです。

 

そういう意味では、指導者から「弾ける曲持ってきて」と言われることは、一見、生徒側に裁量を与えているかのようですが、無責任な話です。

ビジネスの世界でもよく言いますよね。却下する時(反対意見を述べるとき)は、代替案を必ず提示する、ということ。

 

指導者と生徒の信頼関係がうまく成立すれば、その後は少々のことがあってもモチベーションは揺らがないと思います。